ぎんなんを拾って持って帰ってきてね、
という母の頼みを断れないのにはわけがあり
それは、私の大好きな父の
大好物の茶碗蒸しに
私の拾ってきた ぎんなんが入るからでした。
小さな女の子の隠れた苦労の末、
食卓に並んだ茶碗蒸しは
椀のふたをカコッと開けて覗きこむと
おだしの香りの湯気で顔がすこし湿り、
あんなに臭かったぎんなんは綺麗なミドリ色をして、
自分が臭かったことなんて忘れたように
すっかり茶碗蒸しの一部になっているのです。
そんな姿が憎たらしくて、少し苦いのをがまんして
残さず全部口に放りこんでいました。
大人になり、お店のメニューなどで見かけるそのたび、
このぎんなんは誰が拾ってくれたものなのだろうかと
臭くて嫌だった、今となっては懐かしい日を思い出すのです。
つづく!
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